35歳過ぎの転職は遅いのか:小売→異業種→経営者→出戻りを経験したわたしの答え

こんにちは、PON(@pon_side)です。前向きな理由でも、そうでない理由でも、転職を一度も考えたことがない人は少ないと思います。ただ、求人票の「長期的なキャリア形成を図るため」という一文が急に自分ごとになるのが、35歳という節目ではないでしょうか。

わたしは35歳を過ぎた直後に、新卒から13年いた小売業界を離れて異業種へ転職しました。その後、家庭の事情で家業を継いで経営者になり、事業譲渡を経て、いままた会社員に戻ろうとしています。キャリアとしてはかなり回り道ですが、だからこそ書ける景色があります。

35歳を過ぎての転職、異業種へのチャレンジ。一歩踏み出したい人、あるいは踏み出す必要に迫られている人の参考になれば嬉しいです。

わたしのキャリア年表

まず、全体像を先にお見せします。

2008年〜2021年 新卒で小売業界へ。ショップスタッフ→店長・バイヤー→店舗運営管理
2022年 コロナ禍で転職を決意。異業種のBPO事業者(プライム上場企業)へ
2025年6月 家庭の事情で家業を承継し、代表取締役に就任(BPOの会社は休職)
2025年12月 休職期間の上限を迎え、BPOの会社を退職
2026年9月 事業譲渡が完了
2026年下期 退職した会社に「出戻り」で会社員に戻る

13年、3年、1年あまり。数字だけ見ると後半は目まぐるしいですが、一つひとつに理由と学びがありました。順番にお話しします。

「転職は35歳まで」はどこまで本当か

本題に入る前に、冒頭に挙げた通説の話を少しだけ。

「転職市場は35歳まで」。わたしが転職を考え始めたころ、この言葉は今よりもっと強く生きていました。実際、求人票には「長期的なキャリア形成を図るため」という文言とともに、応募年齢の線引きが設定されていることも少なくありません。表現は柔らかくても、機能としては年齢のふるいです。

この通説の背景にあるのは、「未経験者をポテンシャルで採用して育てられるのは、若いうちまで」という企業側の論理だと思います。それ自体は、採用コストを考えれば理解できる話です。

ただ、35歳を過ぎて実際に動いたわたしの実感を先に言っておくと、壁は「ある」。でもその正体は、年齢そのものではありませんでした。35歳を過ぎた転職では、兵隊としての手数よりも「どんなアウトプットが出せるか」を見られます。年齢が上がれば上がるほど、その要求水準は高くなる。つまり、転職できるかどうかが変わるのではなく、求められるものの中身が変わるんです。難易度が上がるというより、攻略法が変わる。この感覚は、記事の後半でもう一度詳しく書きます。

年齢を理由に足踏みしている人には、まずこの捉え直しだけでも持ち帰ってもらえたらと思います。

新卒で選んだ小売の世界

就職活動のとき、わたしが小売業界を選んだ理由は立派なものではありません。「スーツを着たくない」「土日休みじゃないほうが、休みの日に自由が効く」。そんな気持ちも半分くらいありました。動機としては褒められたものではないですが、こういう入り口から始まるキャリアもあります。

最初は大手デベロッパー系列のショップで、いちスタッフからのスタート。売り場に立ち、毎日大量の商品に触れ、お客様と向き合う日々です。ただ、上司に恵まれたこともあり、店長だけでなくバイヤーの仕事も経験させてもらい、最終的には店舗運営や予算管理をメインとするポジションに落ち着きました。

いま振り返って財産になっているものは2つあります。ひとつは、店頭とバイイングの現場で商品に触れ続けたことで養われた、トレンドや「良いもの」を見る目。もうひとつは、バイヤーの仕事で叩き込まれた「売れるもの・求められているもの」の視点です。

バイヤーになりたてのころは、いわゆる「バイヤーあるある」にどっぷりでした。自分がいいと思ったものは、他の人もいいと思うはずだ、と。もちろん、そういう商材もブランディングのためには必要です。でも、店の売上のコアを支えているのは、顕在化しているニーズも潜在的なニーズも含めて、お客様が求めているものにきちんと応えた商品でした。それは数字に顕著に表れます。SKU単位で管理していると、如実に。バイイングの9割は数字の組み立てなんだと、血を流しながら覚えました。この「好み」と「売れるもの」を切り分ける癖は、いまこの発信でレビューを書くときの土台にもなっています。

一方で、店舗運営管理の仕事はまた別の世界でした。予算を組み、人を配置し、販促を仕込み、日々の数字と睨み合う。バイヤーのようなキラキラした世界は小売の表面のほんの一部で、その裏にある綿密な戦略と泥臭い戦術の積み重ねで初めて店が回ることを痛感しました。同時に、自分の「やりたいこと」と「できること」は必ずしも一致しないことにも、このとき気づけました。この気づきが、のちの転職で効いてきます。

コロナ禍、35歳を過ぎての転職決意

小売の中では順調にキャリアを積んでいるつもりでした。ただ、ECの台頭、そしてコロナ禍。業績は悪化し、倒産には至らないまでも、利益率の低いこの業界に居続けることへの危機感が拭えなくなりました。それが転職を決意した一番の理由です。

このとき、わたしは35歳を過ぎた直後。結婚して子どももいる状況で、金銭的な意味で「失敗できない転職」でした。

ただ、「失敗できない」の中身は、年収を落とせないという話だけではありませんでした。転職で年収の維持やアップを狙うのは、当然みんなそうだと思います。でも、そこにこだわりすぎるとミスマッチが起きるし、自分を取り繕って入社すれば、あとで必ず苦しくなる。そして一番怖いのは、短期間での転職が重なることでした。そうなると年収アップどころか、維持すら難しくなる負のスパイラルに入ります。だから、ある程度長く勤める覚悟で会社を選ぶ。わたしにとっての「失敗できない」は、そういう意味でした。

もうひとつ、これから転職を考える人に伝えておきたいことがあります。わたしは新卒で入った会社に在籍しているうちに住宅ローンを通していました。転職直後は、勤続年数の関係でローンの審査が通りにくくなります。家を買う予定があるなら、転職のタイミングと順番は先に考えておいた方がいいです。

それから、35歳を過ぎた転職は、兵隊として手を動かす人材ではなく「どんなアウトプットができるか」で見られると考えていました。年齢が上がるほど要求は高くなる。だとすれば、入社後にアウトプットの質を高めていける環境の会社を選ばないと、長くは勤められない。会社選びの軸はそこに置きました。

「失敗できない」から、情報にお金を使った

だからこそ、情報収集には手を抜きませんでした。情報は資産だと考えていたので、転職サービスへの課金もあまり躊躇しなかったです。転職という人生の大きな買い物に比べれば、そこにかける数千円、数万円は誤差だと割り切っていました。

使い方は大きく2つ。ひとつは、スカウト型のサービスで自分の市場価値を確かめること。ここで実感したのは、職務経歴書の書き方ひとつで、届くスカウトの傾向も質も量も如実に変わるということでした。書いては直し、反応を見てはまた直す。トライアンドエラーの繰り返しで、市場価値を「確認する」だけでなく「高めていく」使い方ができるんだと分かりました。

もうひとつは、気になる企業が出てきたときに、企業のホームページだけでなく口コミサイトで中身を確かめること。特に重視していたのは退職理由です。ステップアップのための前向きな退職が多いのか、ネガティブな退職が多いのか。勤続年数のボリュームゾーンはどこか。逆に年収の口コミはそこまで重視していなくて、明らかに低すぎる場合の足切りに使う程度でした。入社後のアウトプットの量で、3年スパンで上げていけばいい、と考えていたからです。

このとき実際に使ったサービスと、有料課金する価値があったのかどうかは、別の記事で詳しく書く予定です。



異業種転職で見えたもの

転職先は、小売とはまったく畑の違うBPO事業者。扱う商材も企業風土も大きく違いましたが、入ってみて気づいたのは、事業の本質は変わらないということでした。顧客の困りごとを解決して、その見返りに対価をいただく。この構造は小売もBPOも同じです。

小売で培ったものは、意外なところで活きました。入ってくるお金と出ていくお金、かけるべきお金と絞るべきお金は何か、その理由まで考えるクセ。そして「納得させる相手は自分ではなくお客様(クライアント)」というマインド。店舗の予算管理で数字と睨み合った経験は、業界が変わっても、フォーマットが変わっただけでそのまま通用しました。

働き方の面でも、得たものは大きかったです。今回は暦どおりの休みを希望していましたし、年齢を重ねたせいか、新卒のときにあれだけ避けた「スーツ」を、今度は逆に「かっこいい」「楽」と思えるようになっていた。自分の価値観が変わっていることに、転職活動を通じて気づかされました。プライム上場企業ということで、社会的な信用の面で不安がなくなったのも、家族がいる身には想像以上に大きなことでした。

家業を継ぎ、経営者になる

そんな転職から3年ほど経った2025年6月、家庭の事情(親族の急逝)により、家業を引き継ぐことになりました。代表取締役への就任です。自分のキャリアプランには1ミリもなかった選択肢が、ある日突然、目の前に現れました。

このとき、BPOの会社は「退職」ではなく「休職」という形で送り出してくれました。休職しながら代表として家業に従事する、いわば二足のわらじの状態を、会社が承認してくれたんです。会社の規定で休職できるのは最大6ヶ月だったため、その年の12月に正式に退職することになりましたが、この半年間の扱いが、のちの「出戻り」につながっていきます。

経営者になって痛感したのは、自身の意思決定が、そのまま会社の意思決定になるということ。会社員時代は、どれだけ大きな裁量を持っていても、最後は「決裁を仰ぐ」という工程がありました。あの工程は、スピードを落とす代わりに、判断の責任を組織で分担する仕組みでもあったんだと、なくなって初めて分かりました。会社員を下げるつもりはまったくないのですが、「みんなで一丸となって頑張ろう」という世界ではありません。意思決定の中には、誰かにとってネガティブな、冷たく厳しい決断をしなければならないタイミングがかなりあります。そしてその責任は、すべて自分に返ってきます。

一方で得たものも大きくて、特にバックオフィスのお金の動きに対する解像度は、この期間で一気に上がりました。会社員のときは「振り込まれる側」からしか見えなかったお金の流れを、「支払う側」から見る。実は、何をするにも支払いが発生します。一挙手一投足が、すべて支払いか請求に直結する。この感覚は、会社員に戻ったあとも間違いなく武器になると思っています。

事業譲渡の決断

ただ、経営を続ける中で、この事業を自分がグロースさせ続ける見通しが立てづらい、という現実にも向き合うことになりました。少し特殊な業界だったこと。そして零細企業ゆえに、イレギュラー対応を自分のプライベートを犠牲にして受け止めるしかない場面が多く、そこに限界を感じたことも大きかったです。

悩んだ末に選んだのが、事業譲渡でした。決断にあたって一番大事にしたのは、従業員の雇用が継続されること。会社をどうするかは経営者が決められますが、そこで働く人たちの生活は、その決断のあとも続いていきます。雇用が守られることを第一条件に譲渡先を探し、その条件で引き受けてくれる相手に事業を託しました。2026年9月に引き渡しを終え、残っているのは請求や支払いの残務だけです。手放す決断は簡単ではありませんでしたが、事業と雇用を残すためには、これが最善だったと考えています。

退職した会社への「出戻り」

そして現在。わたしは以前退職したBPOの会社に、いわゆる「出戻り」で戻ろうとしています。

退職するとき、家業を継ぐという事情や、将来的には譲渡も考えているという話をしていたこともあり、「もし体が空いたら、戻ってきてほしい」と声をかけてもらっていました。そのときは、社交辞令半分に受け取っていたと思います。ただ、休職期間中に進捗を報告するたびに、変わらず同じ言葉をもらい続けた。だんだんと、本気で言ってくれているんだと分かってきました。そして、この後ろ盾があったからこそ、譲渡という重い決断に向けてアクションを進められた面があるのも事実です。

出戻りということもあり、協議の場で経歴そのものが大きな論点になることはありませんでした。プラスに見てもらえたのは、フロント業務だけでなくバックオフィスまで一気通貫で考えられる頭になっていること。一方で、将来的にまた起業する可能性はあるのか、と問われもしました。経営を経験した人間を迎える側として、当然の懸念だと思います。

「退職した会社に戻る」と聞くと、気まずさを想像する人も多いと思います。実際のところどうなのか、声のかかり方から復帰までのリアルは、これも改めて別の記事で書くつもりです。

振り返って伝えたいこと

この回り道のキャリアを振り返って、伝えたいことを3つに絞ります。

異業種の壁は、思っているより低い

まず、異業種へのチャレンジのハードルは、想像より低いということ。資格保有者の従事が必須であるような業界は別として、事業の本質はどこも「困りごとの解決」です。業界が変わって失われるのは商材の知識くらいで、数字の見方、段取りの組み方、相手を納得させる考え方といった持ち運べるスキルは、そのまま次の場所で通用します。前職で考え抜いた経験は、業界が変わっても腐りません。

本当の壁は年齢。ただし、乗り越え方がある

次に、本当のハードルは業種ではなく年齢の方だということ。ただしこれは「35歳を過ぎたら無理」という意味ではありません。冒頭に書いたとおり、変わるのは求められるものの中身です。ある程度の年齢での中途入社は、「まだお客さん扱い」でいられる期間がかなり短い。半年かけてゆっくり馴染む、という猶予は期待できません。求められるのは正解ではなくアウトプットです。間違っていても構わないので、「こういう理由で、こうしてみたい」を早い段階から出し続ける。受け入れる企業が異業種からの中途人材に求めているのも、まさにそれだと感じました。

回り道のキャリアは、両面ある

最後に、キャリアは一本道じゃなくていいということ。13年の小売も、3年のBPOも、1年あまりの経営も、どれも無駄になっていません。経営を経験したことで、フロントからバックオフィスまで一気通貫で物事を考えられるようになった。これは会社員としても間違いなく強みになります。ただ、いいことばかりではなくて、「また起業するのでは」と見られる側面もあります。回り道の経歴は武器にもなるし、懸念の材料にもなる。両方を理解したうえで、自分の言葉で説明できるようにしておくことが大事だと思います。

まとめ:キャリアは一本道じゃなくていい

35歳を過ぎての異業種転職、家業の承継、事業譲渡、そして出戻り。数年前のわたしに教えたら、たぶん信じないと思います。それでも、一つひとつの選択には理由があり、その時々で「失敗できない」なりに情報を集め、考えて、動いてきました。

キャリアの正解は、たぶん誰にも分かりません。ただ、35歳という数字の前で足踏みするのは、少なくとももったいない。壁の正体を知って、準備をして、出すべきアウトプットを出せば、道は思っているより開けている。回り道をしてきた立場から、それだけは言い切れます。

今後この発信では、あのとき実際に使った転職サービス(有料課金したものも含めて)のレビューや、出戻り転職のリアルなど、転職の実用的な話も書いていきます。35歳の壁の前で足踏みしている人に、少しでも役立つものにするつもりです。

日々の仕事道具や働き方のことは、X(@pon_side)でも発信しています。よければそちらものぞいてみてください。

— PON